どうしようもないことと どうしてもできないことは かなりちがう

放送大学に3年次編入→2019年に卒業。その後は再入学しマイペースに勉強しています

【感想】『方丈記』と『徒然草』('18)

※私の個人的な感想です。
※私が履修した2018年度1学期時点でのことです。

 

方丈記』と『徒然草』('18)
人間と文化コース 専門科目 択一式 持ち込み可

今学期の癒し。私はやっぱり日本文学の古典が好きだし、島内裕子先生の科目が好きなんだ!

方丈記徒然草という科目名だが授業は枕草子からスタート。枕草子で花開いた随筆の文化が方丈記へ、徒然草へと繋がり、更に次世代の作家たちやその作品に影響を与えていく様子が紹介される。

災害が起こるたびに壊れる家を見て「もう最小限の暮らしでいいや」と人の輪から離れてゆく鴨長明と、本の中の賢人に憧れていたけれど現実の人の輪へ入ってゆくことを選んだ兼好。日本を代表する二大随筆はどちらもある意味「ぼっちで引きこもり」な人が書いていたと言えるのかもしれない。終盤では、書きたいことを突き詰めて書き続けた結果、鴨長明や兼行が到達する哲学的な内面について考えることにもなる。

書き続けたけれど、答えは無かった。そのときに鴨長明と兼行はどう思ったんだろう。無いんだなと思って晴ればれした気持ちになったのか、それとも絶望感を抱いたのか。作品は遺って現代まで伝わっているけれど、作者本人の本当の気持ちは想像するしかないのだなとという(全ての文学作品に於いて)あたりまえのことに改めて心を馳せる。

これまでに私が履修した島内裕子先生の科目(和歌文学の世界・日本文学概論・日本文学の名作を読む)は、様々な作品をを広く眺めるような内容だったように思うのだが、方丈記徒然草という二つの作品のみに的を絞った本科目はさすがに一歩踏み込んだ感じがするというか、私にとっては最も難しかった。

放送授業は作品に関わりのあるお寺や石碑を紹介するなど親しみやすい。なお、それがどんなに山道や山寺であっても、島内裕子先生はオシャレなお洋服やお帽子で出かけていく。
妙に耳に障る、調子が外れたジングルが時々流れてものすごく気になる。
※この妙に気になるやつ以外は「和歌文学の世界」と同じ、なんだかムーディーなジングルが使われている。