どうしようもないことと どうしてもできないことは かなりちがう

放送大学に3年次編入→2019年に卒業。その後は再入学しマイペースに勉強しています

夏休みの修学旅行【金沢21世紀美術館】

金沢へ旅行して21世紀美術館を観に行くのは数ヶ月前から決まっていたことなので「修学旅行」っていうのは後付けですが。

※この先長文です。普段より長いです。

 

21世紀美術館へ初めて行ったのは9年前です。
ジョン・ケージの「4分33秒」という曲があります(この曲のことは放送大学の「西洋音楽史」にも出て来ます)。奏者が現れて、何も演奏しないで4分33秒後に立ち去るだけというもので、客席のざわめきや咳払い、野外の会場なら木が揺れる音や鳥の声など、4分33秒間に起きた全てが作品、同じ上演は2度とできないというものです(録音したCDも販売されている)。
21世紀美術館にある「タレルの部屋」という展示室がそんな感じで、部屋の天井に四角い穴が開いていて、晴れなら青空、雨天なら雨が室内に降る、寒いか暑いか、誰と一緒に行くかといった、自然条件を含めた鑑賞体験が自分にとっての作品になる…というのが「4分33秒」に似ている気がするんです。

9年前の私は偶然「4分33秒」を知っていたから、それになぞらえてタレルの部屋をそう感じたのです。あとは有名な「スイミング・プール」をおもしろい!楽しい!って思ったくらい。
それ以外は「きれいな美術館で色々すごいと思うけど、展示品が正直よくわかんない…」って感じだったんです。
○○に似てる・楽しい・キレイ・わかんない。どれも間違っていないとは思うのですが、それまでに訪れた美術館や博物館とは違い、展示してあるものがそもそもよくわからないという不思議な来訪でした。

 

だけど、放送大学に入学して29年度の1学期に「西洋芸術の理論と歴史」を履修したことで「9年前の私が、21世紀美術館の展示品をよくわからなかった理由」がわかるようになった(と思う)んです。

 

むかし(ルネサンスとかバロックの頃)の芸術作品は「王様に頼まれて描いた」とか「教会に置く像を造る」といった、政治や宗教の事情を含んだ製作理由が多かったのだそうです。ぱっと見ただけでわかりやすい作品が多いのは、王妃の肖像は美しく、神様の像は神々しくする必要があったからです。
※もちろん「王妃の人生は波乱に富んでいた」「○○の結果この像が造られた」みたいなバックボーンを知ることで、真に深みのある鑑賞ができると授業では述べられています。

対して、近代芸術はわかりにくいものが増えていきます(と思います)。授業では一例としてピカソの「ゲルニカ」が紹介されていますが、確かに教科書やTVで初めてゲルニカを見る人は「なんかすごいけど不気味でよくわかんない」って思うことが多いんじゃないでしょうか。
ピカソゲルニカの町が空爆を受けたことに衝撃を受けてあの絵を制作したのだそうです。この歴史を知らなくても、人の心の奥底には戦争を恐れる気持ちがあるから、あの絵が含み持つ奇妙な恐ろしさを無意識のうちに感じることができるし、もちろん空爆の事実を知ったうえで絵を鑑賞すればより理解できる、ということが語られています。

 

そんなわけで、見た目のみではなく制作の経緯やメッセージを知ることも大切!という想いを抱いて、21世紀美術館へ2度目の訪問をしてきました(もちろん、大学生料金で)。
すべてがわかった訳じゃないけれど、とってもとっても興味深くて面白かった!

 

観てきた作品の中から、ネット上に関連記事が沢山あって紹介しやすいのでこれを挙げたいと思います。
「わたしは人類」。作者はやくしまるえつこ氏。

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保存ケースや試験管からは科学や未来をイメージするとともに、これが暗い部屋にぽつんと置いてあって、ポップな音楽が流れていることに妙な恐さを感じます。
置いてあったパンフレットによると「人間が滅亡したあとに、この培養されているなにかが意志を持ち『わたしは人類』と言い始めたら」というのを表しているそうです。

 

第一印象で感じた「未来っぽさ/妙な恐さ」は「新しい生命体の誕生/人間の滅亡」を感じているのかもしれません。はじめてゲルニカを見た人でも空爆の恐ろしさを感じ取るのと同じように。テクノポップのような音楽は、一定のテンポとことばの繰り返しで細胞分裂を連想させます。もちろんこれらは、私の個人的な感想なので、全て正しいわけではないでしょう。実際、やくしまるえつこ氏は作曲にDNA配列を反映させたりもしているそうですが、私にとってそういった事柄はインタビュー記事を拝見するまで思いつきもしない部分です。

だけど、見た目以外の意図や物語を意識しなかったら、9年前の私がそうだったように「何を表してるのかわかんない」とか、そもそも「どうしてこれが美術なの?」で終わってしまう可能性があるということだと思います。

 

「西洋芸術の理論と歴史」を履修し終えてからの現代美術作品の鑑賞は、とても有意義な体験になりました。上で紹介した「わたしは人類」以外にも、様々なコンセプトや手法の作品がたくさん展示されています。
ヨーガン・レール氏の、海岸に漂着した廃品を使って美しいランプを創る展示などは夢を見るかのように美しかったです。こちらも、何も知らずに鑑賞すれば「ランプが美しい」、材料が分かれば「廃品を利用してるんだ」、更に作者が自然を好んでいたエピソードを知れば「環境美化やリサイクル」へ意識が及ぶということではないでしょうか。

 

タレルの部屋は曇り空でとても涼しかったです。9年前の旅行では雨で、どうしても晴れた日のタレルの部屋が見たくって、旅行2日目に予定を変更してもういちど観に行ったのでした。
そして「スイミング・プール」のプールサイドに立ったときに、ニーチェの「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」を思い出しました。9年前の私はこの言葉を知識として知ってはいたけれど、思い出しはしなかった。放送大学に入って哲学を再び学び始めたことで思い起こされたのかもしれません。

 

21世紀美術館以外にも、ひがし茶屋町・主計町茶屋外を訪れたり、ル ミュゼ ドゥ アッシュ(辻口博啓さんのカフェ)でお茶したり、宿泊したホテルがとても良いところだったり、充実した旅行となりました。心配だった台風の影響はほとんどなかったです。なおいちばんメジャーな兼六園は過去に3回くらい行ったことがあるので今回は訪問していません。